東京さんぽ「フランスガム喫茶劇場 㐧1幕」

東京さんぽの番外編として
フランスガム社による「フランスガム喫茶劇場」はじまります。

毎回、東京のどこかの喫茶店を舞台に綴られる架空の物語。
㐧1幕は渋谷のあの喫茶店から。

* * *

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1幕 名曲喫茶ライオン ~マチガチ・マイコの間違い~

 

ある賑やかな街。歓楽街の真ん中に、そのお店はありました。
マチガチ・マイコは胸を高鳴らせながら、ピンクや黄色のネオンの看板が並ぶ坂を上っていました。
先週、音楽大学で同じクラスのクラシク・レコミから、そのお店に行けばリクエストしたレコードを
大音量でかけてくれると聞きとても興味を持ち、勇気を出してやってきたのでした。
マチガチ・マイコはまだ喫茶店にひとりで入ったことがありませんでしたし、
ましてやお店でリクエストをするなど、すべてが初めての体験でした。
坂を上りきったところで緑色に光る看板が目に入りました。
『名曲喫茶ライオン』
深呼吸をひとつしてから扉を開くと、外の騒々しさが嘘のように別世界が広がっていました。
背に白いカバーのかかった赤いソファ、飾りのついた金色の柱、壁にかかった古いランプ、
中央の棚には沢山のレコードが収められ、正面の壁一面には大きなスピーカーが備わり、
すべての席はまるで列車の席のようにスピーカーに向かって並んでいるのでした。
マチガチ・マイコは一番後ろの席に座りました。
リクエストする曲はもう決まっていました。最近熱をあげて練習していたピアノの曲でした。
曲名を書いた小さなメモ用紙を渡しレモン・ティーを注文すると、
ドキドキしながら順番に自分のリクエストした曲がかかるのを待ちました。
ストーブ横の席は温かく、心地よい音楽に包まれ今にも眠りに落ちそうになっていると、
とうとうマチガチ・マイコの順番がやってきました。

?!

かかったのは希望した曲の、ひとつ前の曲でした。
マチガチ・マイコがリクエストしたはずの曲は、
シューベルト 即興曲 作品90 D.899 第三楽章、
流れたのは、
シューベルト 即興曲 作品90 D.899 第二楽章、でした。
うっかりと第二楽章と第三楽章を書き間違えたようでした。

(嗚呼、わたしは本当にいつも、間違える!)

初めてひとりで訪れた喫茶店で、リクエストにも失敗。
マチガチ・マイコは今にも泣き出しそうでした。
そうしていると、客席からすすり泣く声が聞こえてきました。
ひとり、ふたり、もうひとり。
曲が終わると、お客さんたちが席を立ち、それぞれに言葉を残して帰って行きました。
「死んだ母親がよく聴いていた曲です。曲名は知らなかったけど。懐かしいなあ。」
「学生の頃よく通っていたお店でいつも流れていた曲です。曲名は知らなかったけど。懐かしいです。」
「青春時代に恋人が好きだった曲です。曲名は知らなかったけど。懐かしいわ。」
マチガチ・マイコはそれを聞く度に、なんだかとても嬉しい気持ちになりました。

(わたしの間違いも、時には役に立つものね)

マチガチ・マイコはお会計を済ませると、満たされた気持ちでネオンの坂を下って行きました。

<おしまい>

喫茶劇場豆情報:
名曲喫茶ライオンでリクエストをすると
その一曲が入ったレコードの片面すべてを流してくれます。
盤面が傷まないように、とのこと。

 

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